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「空気人形」はペ・ドゥナがリアルなビニール製ダッチワイフに見える質感がヤバイ

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“ココロ”はさみしい…でも、愛おしい。
ペ・ドゥナが演じる「空気人形」がすごくリアル。

 
業田良家の短編コミック「ゴーダ哲学堂 空気人形」を是枝裕和監督が映画化した作品です。

 

 

ストーリー

 

 

川沿いの寂しげな小さな町にある古びたアパートで暮らす秀雄(板尾創路)は“のぞみ”と名付けた空気人形(ペ・ドゥナ)と一緒に食事し、一緒に入浴し、夜になると星について語りながら同じ布団で眠りにつく日々を過ごしていた。雨上がりのある朝、突然“心”を持った空気人形は秀雄が仕事に出るとゆっくり立ち上がってメイド服を着て、一人で街の散策を楽しんでいたが、ふと立ち寄ったレンタルビデオ店でカウンター越しに目が合った店員の純一(ARATA)と出会ったことで、彼女の中に今まで感じたことがなかったような新たな感情が芽生え始めた…。

 

 

 

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人間に恋をした人形

 

 

空気人形とはつまりダッチワイフのことで、

 
最初は冴えない中年男の性欲処理のために作られた、
ただのビニール人形でしかなかったのに、
いつしか“心”を持つようになったことで恋をして、

 
今まで感じなかった、
切ない胸の痛みとか孤独、苦悩、儚い一生

 

を知ることになるというヒューマンドラマなんですよね。

 
なんといっても空気人形を演じる韓国の女優ペ・ドゥナがすごい。

 
最初のうちは明らかに表情もなければ皮膚の質感もビニール製のダッチワイフそのものなのに、
途中から人間か人形かまったく区別がつかなくなるもん。

 
オールヌードの場面も何度かありますが、
ペ・ドゥナがオールヌードに挑戦したというのも驚き。

 

 

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↑この画像は明らかにダッチワイフだけどね(笑)

 
空気が抜けていくと次第に表情もなくなって、
いかにも人形らしい質感に戻っていくんですよね。

 
しかも、これがリアルにビニール製らしい質感なんだよなー。
この違い、どこまでが人形でどこからがペ・ドゥナなのか分からないあたりは演技を超えて素晴らしいの一言。

 
もちろん、質感だけでなく、
彼女のちょっとした仕草にしても微かな表情の変化にしても、

 
すべてが100%無機質な空気人形であって人間ではないのに、
演じるのが人間であっても人形に見えてしまう、

 

 
ある意味、“空気人間”

 

 

ともいうべき説得力がありえないファンタジーを現実的な作品に昇華させてます。

 

 

 

 

 

“いのち”は自分自身だけでは完結できないように作られてるらしい。花もオシベとメシベだけでは不十分で、虫や風が訪れてオシベとメシベの仲立ちする。いのちはその中に欠如を抱いていて、それを他者から満たしてもらう。世界は多分他者の総和。しかし、互いに欠如を満たしてるとは知りもせず知らされもせず、バラ巻かれてる者同士、無関心でいる間柄。時に疎ましく思うことさえも許されている間柄。そのように世界が緩やかに構成されているのはなぜ?花が咲いているすぐ近くまで虻の姿をした他者が光をまとって飛んできている。私もある時、誰かのための虻だったろう。あなたもある時、私のための風だったのかもしれない。
(吉野弘「生命は」より)

 

 

 

劇中でかつて代用教員だった老人の語る詩がのぞみのモノローグとして詠まれますが、
これがなかなか奥が深い。

 

 

ディスコミュニケーション社会の象徴

 

 

この作品で描かれる“人間”はみんな体の中身は空っぽで、
他者との関わり合いを避け、孤独に生きようとしてます。

 
空気人形の持ち主の秀雄は勤務先のファミレスで年下のコックから小バカにされ、
元カノとの失恋を引きずったまま、
生身の人間との恋愛は「面倒臭い」という理由で心を持たない空気人形を慈しむ毎日。

 
誰も話し相手のいない老婦人は毎日のように近所の人に声をかけて、
何か事件が起こるたびに交番に駆け込んでは自分が犯人だと名乗り出る日々。

 
無理にでも食べ物を詰め込んで過食症になるOLもいれば会社を訪ねてくるお客に相手にされない年増の受付嬢は自分で自分の留守電に吹き込んだ愚痴を聴いて自分を納得させようとしてます。

 
みんなそれぞれに心の奥に抱えた空虚感を何かで埋めようとする行動をしながら、
相反するように孤独に満足してるかのような表情も見せるんですね。

 
そういう意味で、

この世界は他者と関わるのが苦手な人たちで緩やかに構成されてると言えるかもしれません。

 

 

「人は一人では生きられない」というのは昔からよく言われてますが、

 
実は誰かと関わり合いながら人は生きてるわけで、
その中で煩わしい人間関係を避け、孤独に生きようとしていても、
その実、お互いに風になったり虫になったりしながら、

 
欠如した部分を埋め合ってるのが現実。

 

 

 

空気人形の決断

 

 

そんな世界で心を持った人形ののぞみは正真正銘人間になるために空気人形の象徴である空気を入れるエアポンプを捨て、

 
恋する純一にお腹の空気穴から直接空気を吹き込んでもらうことで“生”と“愛”を実感し、

 

 

人形にはない老いることを受け入れようとしました。

 
たとえ自分が男の性欲処理のために存在する空気人形…今で言えばラブドールだと分かっていても、
生きること、愛することを知った人形はそうするしかなかったんですよね。

 
ただ、どんなに人間になろうとしても、
自分は所詮代用品でしかなく、
いくらでも代わりのある存在なんですよね。

 
しかも、旧型でビニール製の安物というのがまた皮肉で、

 
用済みで物置に押し込められた自分の代わりに秀雄の横には最新のシリコン製ラブドールが…。

 
どうあれ人形であることに変わりはないわけだけど、
愛する純一が直接空気を吹き込んでくれる瞬間に感じるエクスタシーはのぞみにはSEXと同じ。

 
その瞬間にのぞみが見せる恍惚の表情は空気で膨らんでるために、
中身が空っぽな自分が愛する人の吹き込む生温かい息で心が満たされていく幸福感にあふれていて、

 
それはかつて見たことがないような生々しいエロティシズムを感じさせる場面でした。

 

 

人形という異形の哀しみ

 
でも、人形は人形で、人間は人間。

 
心を持った人形の愛情がもたらす衝撃的な結末にはやられました。

空気人形はビニール製のダッチワイフから超リアルなシリコン樹脂製の高級ラブドールへと進化しました。

 
じゃあ、人間はどうなんだ。

 
まるで人形みたく中身が空っぽな人間は「自分は生きてるんだ」という“生”の実感を感じず、
他者との煩雑な関係も面倒くさがる。

 
そして、空っぽのまま何かに満たされることもなく、
生を感じないから死の恐怖も感じない。

 
ふとしたアクシデントから手首に釘が刺さって穴が開いてしまい、
プシューっと音を立てながら空気が抜けていく瞬間の表情はまさに「死にたくない」という欲求ですが、
空っぽな人間は逆に退化してるといえるかもしれません。

 

 

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人形は空気が抜けたらただのビニールの塊。
人間は…思考回路を閉ざしたなら無価値なゾンビのようなものか。

 

 

「人形は燃えるゴミ」
「人間は燃えないゴミ」

 
という言葉も印象的でした。

 

 

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「ノルウェイの森」でも光っていたリー・ピンピンのカメラワークは透明感があって幻想的で美しく、
また、world's end girlfriendが奏でるエレクトロニカのサウンドがこの独特の世界観を彩っていて、
すべての面で素晴らしい。

 

 

こっちの予告篇の方がかなり突っ込んだ内容。

 

 

 

 

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