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映画「ノルウェイの森」は純愛の本質ここにあり!村上春樹作品の映像化に挑んだ世界的監督の手腕が光る!

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1987年に刊行された累計1000万部(公開当時)を超える村上春樹の世界的大ベストセラーにして当時は社会現象にもなった同名小説の映画化作品ですが、純愛文学の最高峰とも言うべき作品の映像化に挑戦したのは日本人監督ではなく…

 

 

映画「ノルウェイの森」感想の前に…

 

 

僕は小説をあまり読まないし、
ハルキストでもないので未だに内容は知らないし、
どうしてこんなに人気があるのかも正直分かりませんでした。

 

 

もし映画化されたらすぐに見に行くつもりでしたが、
さすがにこれだけの原作を日本のクリエイターが映像化するにはいろんな意味であまりにもリスクが大きいから、
きっと誰も手が出せないだろうと勝手に思ってたんですね。

 

 

村上春樹作品の世界観を壊すような大胆なアレンジはできないだろうし、
興行的にも失敗が許されないわけで、
そこまでのチャレンジ精神がある映画人は日本にはいないと決めつけてました。

 

 

でも、それがまさか外国人監督が果敢にも映像化に挑戦するなんて思わなかったなー。
その勇気に拍手を送りたい気分ですが、

 

 

その一方でこの外国人監督の挑戦は日本が世界に誇る純愛文学の最高峰を映像化できる人間が日本にはいなかったことを意味するわけで、
それはそれで悲しい事実でもありますね。
しかも、完成した作品がまた実に素晴らしいからなおさら…。

 

 

このレビューは公開当時書いたものに加筆修正しました

 

 

Norwegian Wood

 

 

 

ここから先はネタバラがありますんで未見の方は読まないでください!

 

 

 

純愛における人間の本質とは…

 

 

「純愛における人間の本質」はきっといつの時代も変わらず、

 

 

狂おしいほどの愛を失えば大きな絶望感が生まれるし、
その一方で愛を渇望することで壊れそうな心が再生する…。

 

 

そんな人間の「喪失と再生」をリリカルな空気感で表現したところが素晴らしい。

 

 

生温かい体温まで伝わってくるような演出、
繊細でいて、時に大胆な登場人物の言葉をすごく丁寧に紡いでるんですよ。

 

 

おそらく原作に忠実なんだろうと思いますが、
文字では表現できないことがビジュアルで見せられる“映画の強み”を最大限に活かしていて、
キレイごとだけではない愛の苦しみとか性への衝動がすごく鮮やかで生々しいんだ。

 

 

たとえば、SEXをするにしても「入ってきた」とか「濡れてる」とか、
その逆で「開かなくなった」なんて表現するのはある意味文学的なのかもしれないけど、
現実的にはそんな言葉を挿入の前後に口にすることはあまりないですよね。

 

 

でも、これが映像表現の中に組み込まれたセリフなら直接的で、
これ以上ないくらい的確でビビッドな感情の表現に思えるんですよね。

 

 

村上春樹の小説がなかなか映像化されない理由があるとしたら、
もしかしたらそういう文学的な表現が映像にそぐわないのかもしれませんが、
トラン・アン・ユン監督は見事に表現してみせました。

 

 

ハルキストでもない僕が村上春樹の小説を論じるのは恐れ多いですが…。
僕が勝手にそう思ってるだけです、はい。

 

 

 

Norwegian Wood 2shot

 

 

映画「ノルウェイの森」に見る心と体のバランス

 

 

人は生きている限り、
心に感情がある限り、
悲しみからは逃れられません。

 

 

目を伏せることはできたとしても避けることができないのは誰しも同じことで、
哀しみと真正面から向き合って、
その哀しみを受容し、あるいは哀しみを哀しみ抜いて生きてゆくのだと思います。

 

 

ナオコは恋人のキズキに自殺されたことで否応なく大きな悲しみに直面しました。

 

 

愛情が深かった分だけその喪失感も想像以上に大きく、
誰かを愛そうとしても心と体のバランスはつねに不安定で一致せず、
結果的にまたその喪失感が深まるだけ。

 

 

キズキが自殺した理由は明かされませんが、
ナオコにとっては自責の念があるんじゃないかな。

 

 

だからこそ、ワタナベを愛そうとして体は「濡れて」「入ってきた」のに、
心はどうにもならなかったわけですが、

 

 

愛の喪失感の果てに彼女が選択した決断はあまりにも苦しく、
生きることは死ぬことよりも過酷なんだと思い知らされます。

 

 

また、ワタナベにしてもナオコを全力で愛しましたが、
その愛が結果的に彼女の心の均衡を崩してしまい、
そして、暗くて深い闇に追いつめてしまうことになるんだから、
こんなことになるなんて胸が締め付けられるほど痛い。

 

 

 

Norwegian Wood Main

 

 

映画「ノルウェイの森」闇に覆われた森を彷徨う男女

 

 

人の足を止めるのは絶望ではなく諦観
人の足を進めるのは希望ではなく意志

 

ワタナベとキズキとナオコの3人は“愛”という名の深く静かなる森を彷徨いながら、
やがて暗い闇に覆われてしまうその茫洋たる森で、

 

 

きっとどこかにあるはずの“果て”を見つけられず、
あるいは大切なものを見失ってしまい、
次第に心を病んでいく姿がすごくリアルなんです。

 

 

とくにナオコが抱える傷は深く、
その傷は森の中で音を立てずに心を蝕んでしまったんでしょうね。

 

 

キズキのいない世界は孤独で、
ナオコにとってはもう何をしても楽しくなかったんじゃないかな。

 

 

生きることに虚無感を感じるようになれば“生”へのエネルギーが消えてしまうわけで、
そこにあるのは無力感、無気力に喪失感だけだったかもしれません。

 

 

ナオコが生きようとする足を止めてしまったのはきっと絶望ではなく諦観。

 

 

一度は絶望から這い上がろうとしましたが、
それでも無理だった。
キズキのいない世界で生きていくという強い意志を持てなかったことが自殺につながったんでしょうね。

 

 

 

Norwegian Wood 3shot

 

 

 

たとえば僕が死んだなら…。

 

 

これほどまでに悲しんでもらえるのは嬉しいかもしれません。
でも、やはり前に進む意志を持って生きてほしい。

 

 

もしもあなたが深く静かなる森で彷徨ってるなら、
鳥のさえずりで森の出口まで導きたい。
もしもあなたが暗闇のような深海で息もできずにいるとしたら、
一筋の太陽の光を射したい。

 

 

たとえば僕がキズキなら、
ナオコには明るいところで強く生きてほしいと願うかな。

 

 

ナオコはキズキを深く愛したゆえに愛する人を喪った世界は苦しく、
その人がいる世界に少しでも近づきたくて、
同じように「死」を選択してしまったのは深い愛ゆえ。

 

 

強く生きようとすればするほど愛する人が自分からどんどん遠のいていくような気がして泣き出しそうなほど苦しくなり、自分だけがこの世界で生きてるという現実に罪悪感のようなものを感じるのもまた深い愛ゆえ。

 

 

深く愛すること。
強く生きること。

 

 

深く愛し、強く生きることができる人なら何ら問題はないだろうけど、
ナオコはそれができなかったわけで、
人間の心は意外に脆いのかもしれません。

 

 

 

 

 

映画「ノルウェイの森」ロケ地の映像美

 

 

どこまでも続く圧倒的な大自然
生死をめぐって葛藤する人間の不自然

 

 

デビュー作の「青いパパイヤの香り」で、
すでに世界的な高い評価を得たベトナム出身でフランス在住のトラン・アン・ユンが監督したこの作品は日本映画とは少し異質な感じで、
そう、ほんのりとフレンチの香りがするんですよね。
いやいや、ホントですよ。

 

 

でもって、その映像たるや圧倒的に美しく、
眩しいほどに色鮮やかな映像美はとても兵庫県でロケしたとは思えないくらい、
異国のよう…っていうか、
あんなキレイな森が兵庫県にあったとは知りませんでした。

 

 

そびえ立つ大量のススキが印象的なロケ地は兵庫県神河町の砥峰高原や峰山高原、
香住町の香住海岸(今子浦)といったあたり。

 

 

風に揺れるススキはしなやかなる身のこなし
見えない心に揺れる人間はぶきっちょに流されるまま

 

 

 

Norwegian Wood_Tonomine_highland_Kamikawa_Hyogo_pref_Japan

 

 

キャストがまたみんな素晴らしかった。

 

 

メインキャストはもちろんのこと、
レイコ役の霧島れいかにしてもハツミ役の初音映莉子にしても出番は少ないけど印象深いし、
とくに演技初体験というミドリ役の水原希子が瑞々しくてよかった。
初音映莉子を見るのは「うずまき」以来のような気もする…。

 

 

「ノルウェイの森」の作品情報

 

 

原作:村上春樹
英題:Norwegian Wood
監督:トラン・アン・ユン
音楽:ジョニー・グリーンウッド
主題歌:ザ・ビートルズ「ノルウェーの森」
撮影:リー・ピンビン
公開日:2010年12月11日
上映時間:133分
配給:東宝
興行収入:14億円
出演者:
松山ケンイチ(ワタナベ)
菊地凛子(ナオコ)
水原希子(ミドリ)
玉山鉄二(永沢)
高良健吾(キズキ)
霧島れいか(レイコ)
初音映莉子(ハツミ)
柄本時生(突撃隊)
糸井重里(大学教授)
細野晴臣(レコード店店長)

 

 

音楽担当のジョニー・グリーンウッドはレディオヘッドのギタリスト。
撮影のリー・ピンビンは台湾の撮影監督で、日本映画では是枝裕和の「空気人形」や行定勲監督の「春の雪」を手がけた。

 

 

「ノルウェイの森」のあらすじ

 

 

高校で唯一の親友だったキズキ(高良健吾)が突然自殺したショックから立ち直れずにいたワタナベ(松山ケンイチ)は大学進学をキッカケに自分を知るものが誰もいない東京で新しい生活を始めることにした。人との関わりを避けるように過ごしていたある日、キズキの恋人だったナオコ(菊地凛子)と偶然再会した彼はお互いに大切な人を喪った者同士、心の穴を埋め合うかのようにように付き合いを深めていくが、彼女の20歳の誕生日に初めて二人で一夜を共にして以来、彼女は忽然と彼の前から姿を消してしまった。彼女に会いたくても会えなくなった彼は大学で彼女とは対照的に瑞々しくて明るく、快活なミドリ(水原希子)と出会い、次第に魅了されていくが…。

 

 

Norwegian Wood cafe

 

 

 

「ノルウェイの森」の予告編

 

 

 

 

 

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コメントは2件です

  1. 村上春樹の小説の映画化では一番出来が良いと思う。
    村上の小説は実は映画化は非常に難しい。理由は簡単で、小説そのものが映画的、ほとんどシナリオだからである。それは、五木寛之や藤本義一の小説の映画化が大抵に失敗しているのと同じである。以下は、この映画が公開されたときに書いたものです。ご参考までに、どうぞよろしく。

    村上春樹の小説の映画化としては、私が見た範囲では一番良いと思う。
    大森一樹がATGで作った『風の歌を聴け』などは、形だけの中身の全くない映画だった。これは、イギリスの演出家デビット・ルボーが、日本で日本人役者を演出して数々の優れた劇を作り出したのとよく似ている。日本人俳優によれば、ルボーは、日本語の台詞のニュアンス、抑揚、アクセント等を正確に聞き分け、的確な指示を出すので、大変驚いたそうだ。この映画の監督トラン・アン・ユンの台詞への繊細なセンスは特筆すべきものである。これだけ自然な台詞のやり取りをしているのは、日本映画ではなかなかない。また、リー・ビンビンのカメラも極めて明るく自然である。画面のサイズが最近には珍しく、ビスタではなく、シネスコなのには驚いたが、その性で明るいのだろうか。一昨日見た『最後の忠臣蔵』が、谷崎潤一郎の『陰影礼賛』のような暗さの中の深みの映像なら、これは明るさと軽さの自然な画面である。そして、セット、衣装、小道具等の再現、考証が大変正確なのはすごいことである。中に、学生運動監修というのがあり、元早大反戦連合の高橋公で、当時の学生運動の連中のビラ、立て看板、ヘルメット、デモの仕方、演説法等も正しく表現されている。昔、山本薩夫監督の映画『戦争と人間』のスタッフに、軍事指導と言うのがあり、日活のアクション映画の悪役木島一郎だったが、学生運動も監修されないと再現できない時代になったのか。しかし、この徹底性は良い。主人公が、上流の女の子ハツミと乗るタクシーの値段が100円と言うは泣かせる。主人公の松山ケンイチがいる学生寮、直子のアパート、みどりの家の二階の家具調度等も当時の物をきちんと揃えている。俗に、今は江戸時代や明治よりも、1960、70年代の映画美術の方が難しいと言われている。なぜなら、江戸や明治は、普通の家では家具調度は大変少なく間違っても誰も分からない。だが、戦後になると、モノが増えていて、きちんとそれを揃えるのは大変で、しかも記憶している者がまだ現存しているからだ。よく再現していると思う。松山がアルバイトをしているレコード屋に並んでいるLPジャケットも当時のものだろう。 話は、原作から主人公ワタナベ君と直子の物語だけにしているが、これも映画の統一性からは成功。ただ、原作が持っていた意味の半分は失われていると私は思う。 以上が映画の批評で、以下は村上春樹の原作についての疑問である。 独断的に書くので、村上春樹ファンは読まないほうが良いと思う。最後に、些細なことだが、一つおかしな台詞を指摘する。 途中で、緑は「ポルノ映画に連れて行ってくれる?」とぼくに聞く。本が出版された1987年には、ポルノ映画という言葉は普通に使われていた。だが、物語の設定の1968年では、ポルノ映画というのは使用されていない。日活ロマンポルノが始まるのは、1971年末である。あえて言うなら、ピンク映画で、輸入物のピンク映画も、洋ピンと言われていた。だから、あのせりふはおかしいのである。
    横浜ブルグ13

    先日、年末の掃除をしていたら、昔のメモ(本を読んだ時の)が出てきた。そこには次のように書いていた。
    「村上も年とったこと 表現がゆるんで その分気取りがなくなった 
     減った嫌味
     セックスへのこだわりの強さ
     本人の存在感のなさ
     最初のシーンの井戸の比喩 すべての消えていった者、去っていった者たち 
     セックスは、人間関係、それは政治であろうか、劇であろうか、そこでの人と出会いの一般性に転化できるだろう」
    1988年8月15日の日付けなので、出てから約1年後に読んだことになる。 政治云々以外は、大体当っていると思う。 今度の映画でも主人公の存在感はきわめて薄い。
    最後、直子が死に、そこで主人公の号泣に同感できるだろうか。多分、無理だろう。なぜなら、主人公の心が一貫して分からないからだ。そもそも、この小説では主人公のぼくにはドラマが存在しない。 彼は何もせず、すべて周囲の者が動き回り、主人公に働きかけるが、勝手に傷つき、最後はみな死んでゆく。私は、以前この小説も村上の他の作品も、常に自分勝手な主人公であり、周りの人間、女性が勝手に動いて死んでゆく不愉快な小説だと思っていた。だが、この映画化を見て、少し考えを変えた。一口にして言えば、村上も、きわめて上品に、間接的に語られた「カタログ小説だ」ということである。かつて、田中康夫の『なんとなくクリスタル』が出たとき、彼の小説は、「カタログ小説だ」と言われた。村上も、極めて上手い語り口、巧妙な構造、様々な技法を凝らしているが、その本質はカタログ小説の気がする。ここでは何のカタログだろうか。セックス、特に女性のセックスのコンプレックス、特殊体験等のカタログである。幼ななじみのキズキとはセックスできなかったのに、20歳の誕生日では主人公のぼくとは、最初から濡れてしまってセックスできる直子が典型だが、他の女性もみな性に悩み、傷つき最後は死んでしまう。 主人公にドラマがないのは当然で、彼はカタログの紹介者、司会に過ぎないからである。今回の映画では、ピアノ教師レイコの物語がカットされているのが大変残念だが、これなど高級ポルノであり、私は一番興奮して読んだ。これは、私の想像に過ぎないが、村上は、古今東西のポルノ小説、実話等から多くの題材を得てストーリーを組み立てたと思う。そこには、大変精密な調査、研究がある。 思うに村上が、私生活を全く公開しないのも、そこにある。普段の彼は、古今東西の題材の調査に明け暮れているはずだ。そんな姿を見たら、きっと体験と想像力で書いていると信じている多くのファンはがっかりするだろう。だが、そうした調査や研究なくして、あれだけの小説はできないはずだ。その後に、彼が書いた地下鉄サリン事件のノン・フィクションでの克明な調査を見ればよく理解できるだろう。三島由紀夫も膨大な調査の上に小説を書いたことは有名であるが、多分村上もそうなのではないだろうか。ただ、この小説が女性にうけた意味は大きい。時代の変化である。これが女性に受けた原因は、「ソフトポルノ」で、しかもセックスに傷つく女性を表現しているからである。1960年代後半にあれだけセックスに積極的な女性がいたはずはないが、多くの女性も心の中では、様々な欲望と悩みを持っているだろう。そうした彼女たちが、この本を読んだとき、「ああみなも同じように悩んでいるのだ」と慰められたのが、この小説の効用である。今流行の嫌な言葉で言えば、「癒し効果」である。だからこそ、大ベストセラーになったのである。

    さて、少々村上春樹の批判をしたので、最後に彼の擁護をする。それは直子のような女性が本当に存在することである。私の小山台高校のクラブの1年後輩にMという男がいた。 真面目な連中ばかりの小山台生の中では極めて特異で、石原慎太郎を崇拝するマッチョで、高校入学の時には、すでに年上のOLと付き合っていた。そのMが、同じ高校の1年下の女の子とできてしまい、その娘の家は複雑な家庭だったらしく、彼女はすぐに家出してMと同棲し高校を中退したので、校内では大変なスキャンダルになった。今から40年以上前のことである。だが、今から約10年前に、Mに会い、当時のことを聞くと事実は全く違っていた。同棲したのは本当だが、実は一度もセックスはできなかったのだそうだ。直子のように、彼がどうやってもできなかったという。それやこれやで二人が別れて数年後、深夜いきなりその娘から、Mに電話が掛かってきた。「今夜、男と寝て、初めてやっとできた!とてもうれしい!」と言うものだった。 本当の話である。 原因は、多分精神的、心理的なものなのだろう。

    最後に、村上春樹の小説の意味について言うと、このセックス障害というものは、男女、そして人間の間のコミュニュケーションの困難さ、当時の言葉で言えば「人間疎外」と言うことを象徴的に描いていると思う。
    そこが、この小説の価値であり、意味である。

    • HIRO より:

      コメントありがとうございます。
      僕には思い付かないようなご指摘と深い洞察、表現、批評に頭が下がります。
      今後とも宜しくお願い致します。

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興行ウォッチャーHIRO

映画の興行成績を分析しながらヒットの傾向を探るのが好きな粉もん大好き関西人。マイナーな邦画をこよなく愛し、ラブストーリーからホラーまでジャンルを問わずレビューしてます。

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