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劇場アニメ「打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?」のネタバレ!大前提を無視して改変した物語は結末の解釈なんでもあり

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岩井俊二監督が1993年に演出したテレビドラマがこの夏劇場アニメとして公開されましたが、そもそも比較するのはナンセンスとはいえリメイク作品の宿命。根本的なプロットが別物だし、大前提を無視した世界観なら結末は…

 

 

「打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?」

 

 

期待値が高かったせいもありますが、
これはこれで中途半端にリメイクするくらいなら大胆にアレンジして、
新たなオリジナル作品を製作すればよかったんじゃないかな。

 

 

作品としてのクオリティはかなり高い。
でも、中身はオリジナルとはまったく別物なんです。
悪く言えばリメイク詐欺(笑)

 

 

 

if Fireworks

 

 

その理由を語るにはこの作品の大前提となる説明が必要で、
原作と言われるオリジナルドラマは最初から結末が2種類用意されていて、
主人公の選択によってその後の人生が変わるんですよね。

 

 

もともと「打ち上げ花火」は「世にも奇妙な物語」の後番組として企画され、
タモリがストーリーテラーとして毎回登場するんです。
「世にも奇妙な物語」の流れを汲んだ1話完結のオムニバスドラマでした。

 

 

人生の分岐点に立つ主人公が目の前にある2つの別れ道のうち、

 

 

「右に行くか?左に行くか?」
を考えるというのがこのドラマ枠の核となるメインコンセプト。

 

 

そこで、右の道を選んだ主人公の結末を先に見せておいて、
もしも左の道を選んでいたら、主人公の人生はその後どうなっていただろうか?
また別のアナザーエンディングを見せる。

 

 

 

fireworks background

 

 

そんな共通の方向性に沿ったドラマで、
そのコンセプトが「ifもしも」の選択だったわけです。

 

 

人生の分岐点に立った主人公にとって、
右と左、どちらの道を選択した方が良かったのか?
ドラマの設定上はそれだけなんです。
そして、多くの場合、

 

 

  • 右の道に進んだ場合はバッドエンド(分岐点に戻る)
  • 左の道に進んだ場合はハッピーエンド(完結)
  • あるいは、いずれもバッドエンドまたはハッピーエンド

 

 

という形でドラマは完結します。
ま、ある意味ではまさに奇妙な物語的な作りでした。

分岐点に戻ってやり直すのは1回のみ。

 

 

ちなみに「ifもしも」は全18回だったのですが、
その他のタイトルも「打ち上げ花火」同様みんな二者択一形式となってます。

 

 

  • 「彼女がすわるのは左のイスか右のイスか」
  • 「もう一度生まれ変わるとすれば25歳か18歳か」
  • 「この夏、あなたにピッタリの髪型は?ロングかショートか」
  • 「緊急事態!飛行機で行くか?新幹線で行くか?」

 

 

余談ですが…
「誘拐するなら男の子か女の子か」は直前に甲府信金OL誘拐殺人事件が発生し、放映自粛→そのままお蔵入り。本広克行監督のゴールデンタイムドラマ“幻の”デビュー作なんです。

 

 

fireworks bicycle

 

 

 

「打ち上げ花火」はもしもの世界

 

 

そもそも日常生活は大なり小なり、ありとあらゆる選択の連続で、
一つ一つの選択が大きく人生を左右することだってあり得るわけです。

 

 

例えば、横断歩道で信号が点滅してるのにダッシュして強引に渡ろうとしたら、
早く飛び出してきた車に轢かれて大怪我をしてしまった。
無理に渡ろうとしなければ事故には遭わなかったかもしれません。

 

 

でも、その代わり予定の電車に乗り遅れて会社に遅刻したかもしれないし、
次の電車に乗り込んだら偶然にも初恋相手にバッタリ遭遇して、
そのまま意気投合して…なんて、ドラマみたいなこともあったかもしれない。

 

 

一つ一つの選択が人生を決定づける分岐点にもなりうるので、
人は誰しも「もしもあの時こうしていれば…」って考えちゃうわけだよね。

 

 

1998年公開の「スライディング・ドア」という映画もそうでした。
扉の閉まりかけた地下鉄にギリギリ乗り込めた場合と間に合わなかった場合で、
その先の出来事が大きく変わっちゃうんです。

 

 

グウィネス・パルトロウ主演のロマンティックラブコメディだけど、
タイムリープではない“もしも”的な作品で面白いです。
Every Little Thingの「fragile」のMVも少しアレンジしたもしもの世界で面白いですよ。

 

 

 

Every Little Thingの「fragile」のMV

 

劇場アニメで無視した「打ち上げ花火」の大前提

 

 

閑話休題。
「ifもしも」というオムニバスドラマの中で、
「打ち上げ花火」だけが高く評価されたのは映像美と物語性でしょう。

 

 

岩井俊二はテレビドラマとしては珍しく日本映画監督協会新人賞を受賞

 

 

どんなに背伸びしてもまだまだ大人にはなりきれない子供たちの純粋な思い。
それが大人の迫害によって引き裂かれる不条理。

 

 

やり切れない胸のモヤモヤが美しい映像と夢のように儚い打ち上げ花火に昇華され、

誰もが大人になるための通過儀礼として経験してきたであろう記憶を呼び覚ます。

 

 

そんなところが「ifもしも」のコンセプトを超えて、
単発ドラマとして完成度があまりにも高かったからだと思うんです。

 

 

 

fireworks runaway

 

 

ただ、同時にコンセプトに縛られた側面もあるだけに、
リメイクするにはこの大前提を崩さなければ成立しません。

 

 

「もしも」で時間を巻き戻すにはタイムリープしか手がないけど、
1995年にドラマを編集して公開された「打ち上げ花火」でもタモリは登場せず、
このコンセプトについてはあまり触れませんでした。

 

 

でも、

「打ち上げ花火」を語る上で「ifもしも」は外せないんですよね。

 

 

この劇場アニメで描かれた「もしも」の世界。
それはパラレルワールド…あるいは主人公の妄想世界やん。

 

 

何度でも同じ夏を繰り返すという設定そのものがファンタジーですが、
オリジナルは現実的でもっとシンプル。

 

 

50メートルの競泳で敗れた典道はなずなを救えなかった→バッドエンド

 

 

「もしもあの時俺が勝っていたら…」

 

 

 

fireworks if

 

 

勝利した典道はなずなから花火大会に誘われて駆け落ち→???

ところが、その一歩手前でなずなが突然の心変わり。

 

 

 

誰もいない夜のプールにて無邪気にはしゃぎながら、
「次会えるのは二学期だね」という言葉を残してなずなは典道と別れました。

 

 

 

fireworks okina pool

 

 

「ifもしも」のコンセプトに基づいて典道は敗者から勝者となりましたが、
だからといって、結局何も変わりませんでした。
二学期なんてそもそもないし、打ち上げ花火が上がって夏は終わり。

 

 

劇場アニメでは後日譚的な映画オリジナルのストーリーまで盛り込んでますが、
あまりに非現実的すぎたから、
正直全然テンションが上がりませんでした。

 

 

 

fireworks 2shot

 

 

ただ、そうは言ってもこれほど酷評されるのは残念。
結果的に作品の善し悪し以前に過小評価されちゃってるのはもったいない。
あくまで別物として見たらいろんな解釈ができて面白かったです。

 

 

秀逸なオリジナルがある以上、比較されるのは宿命で、
そういう意味ではオリジナルの足元にも及ばない作品なんだけど、
むしろオリジナル未見の方が楽しめる気がします。

 

 

 

 

 

「打ち上げ花火」なずなは奥菜恵しか考えられない

 

 

だって、

それはもう「打ち上げ花火」=奥菜恵という公式が成立していて、
オリジナルの奥菜恵に勝るものはないんです。

 

 

たとえ二次元だろうが、

なずなの無意識の小悪魔ぶりは奥菜恵しか出せません。

 

 

 

fireworks pool

 

 

もちろん、広瀬すずはよく頑張った。
想像以上の“なずな”っぷりには正直驚きました。
でも、なずなは奥菜恵の子供以上大人未満の魅力がすべて。

 

 

少女期特有のエロティシズムで無意識のうちに少年たちを翻弄し、
そうかと思えば次の瞬間には等身大の少女に戻る。
男子は彼女のまったく意味不明な言動に振り回されるばかり。

 

 

ただでさえ小学6年生の男子にとってはクラスメイトの女子は大人びて見えるし、
実際、女子の方が圧倒的にませてるよね。
同い年の女子から見たら男子なんてまだ毛が生えてないガキでしかない。

 

 

fireworks okina

 

 

そんなふうに小馬鹿にされながらも放っておけないのが男の性。
奥菜恵のようなクラスのマドンナ的存在はいつの時代もそうじゃないかな。
男なら誰にでもそんな存在はいたように思うし、

ノスタルジーを感じさせる意味でも奥菜恵はどこの学校にもいたような存在。

 

 

 

fireworks nazuna poolside

 

 

そして、典道も祐介も、その他の少年たちも、
みんなかつての自分自身だったようにさえ思えてくるんですよね。
ただ、あの時代の俳優でなずなを演じられるのは奥菜恵しかいなかった。

 

 

それが特別な意味を持つドラマ以上に重要なポイントでした。
高校生くらいならともかく、小学6年生が醸し出す雰囲気というのが大事で、

 

 

不器用で惑わされる典道もうまくごまかしながら強がる祐介も、
きっとこの年代にしか存在しない人たちなんだ。

少年から大人になりきれない、青っ鼻垂らした少年のまま。

 

 

 

劇場アニメのなずなからはエロティシズムは1ミリも感じませんでした。
少女期特有のものではなく、女子というには随分大人びたなずなに成長した感じ。
改めて、この作品は小学6年生であるべきだと痛感しました。

 

 

 

fireworks okina yokogao

 

 

無邪気な奥菜恵とどこか影のある奥菜恵。
この違いこそ、なずななんです。

 

 

「打ち上げ花火」タイトルの意味

 

 

前述したようなコンセプトありきのドラマだったので、
「もしも○○だったら…」というシナリオを2パターン描く必要がありました。

 

 

それが「下から見るか」と「横から見るか」だったわけですが、
ただ、ドラマのルールとして本来的にはきっと、
「ライバルとの50メートル競泳勝負 勝っていたら?負けていたら?」です。

 

 

岩井俊二的には「少年たちは花火を横から見たかった」だったとか。
「横から見る」という視点にこだわりがあったんでしょうね。
丸いか?平べったいか?はあまり関係ない。

 

 

劇場アニメでは逆にタイトルの「下から見るか?横から見るか?」にこだわったような気がします。

 

 

例えば、やたらと何度もあらゆる角度から映し出される風車。
意味があるようでないかもしれませんが、
真正面から見た風車は丸く、真横から見たら平べったい。
下から見上げたら平べったくも見えますが、丸いと言われたら丸い。

 

 

 

fireworks Lighthouse another angle

 

 

そういう意味で打ち上げ花火=風車という直接的なメタファーかもしれません。
付け加えるなら、典道=風車というメタファーかもしれません。
典道の心の中や時間の流れは風車の動きが現してるかもしれません。

 

 

 

fireworks fireworks

 

 

 

「打ち上げ花火」結末の極私的解釈(ネタバレあり)

 

 

さて、ここまで書いてきて思ったのはやっぱり結末です。
夏休みが終わって二学期の始業式が始まりますが、
出欠確認していたら典道の姿となずなの姿もありませんでした。

 

 

一瞬にしていろいろな想像が頭ん中を駆け巡りましたが、
とてもシンプルに考えるなら、

 

 

典道はただの遅刻
なずなは予定通り花火大会後に引っ越した

 

 

というパターンが考えられますが、
二人は東京なり大阪なりに駆け落ちしたというのもアリかな。
この2パターンを完全に否定できる伏線等は僕には分かりませんでした。

 

 

 

あるいはこの日引っ越しするなずなを典道は見送りに行った

 

 

 

fireworks backshot

 

 

でも、これでは面白くない。
きっとそんなシンプルなオチだったらもっと直接的に描いたと思います。

 

 

例えば、エンドロールで典道の荒い息づかいが聞こえてきて、
「やべえ!遅刻だ~」とか言いながら典道がダッシュしてる姿を映し出すとか。
駆け落ちだとしたらクラスメイトがもっとざわざわしてるでしょうしね。

 

 

じゃあ、どうなんだ。
あえて見た人の想像に委ねられてるわけだから、
勝手に僕なりの結末を解釈というか妄想してみました。

 

 

時間を巻き戻すためのアイテムとして用意された“もしも玉”ですが、
願い事を叫びながら強く投げたら時間が戻って、
ある地点から再びやり直すことができるようになるんですね。

 

 

 

fireworks il sphere

 

 

でも、これはタイムリープではありません。
平行世界のパラレルワールドに飛び込んだような形だと思います。

 

 

だから、まわりは何も変わらないのに自分だけが変わることができて、
自分が変わることでまわりも変えてしまうことができるわけ。

 

 

それはまず典道が50メートル競走で敗者から勝者になることによって、
なずなが母親から無理矢理連れ去られるという窮地から救うことができました。

 

 

そして、駅に向かうバスに乗り込んでホームに立ったら、
今度はなずなの母親の再婚相手に殴られて、無力な自分を痛感させられます。

 

 

再び戻って、今度は無事に電車に乗り込むことができますが、
この“駆け落ち”がもうそんなに長く続かないことも分かり始めたあたりで、
二人の逃避行はファンタジーゆえに何でもありの展開になっちゃいました。

 

 

その最たるものが海の上を走る電車。
ファンタジーだから許しちゃうしかないんだけど、
うまくいかなければまた“もしも玉”の力で元に戻ればいい。

 

 

 

fireworks sea train

 

 

ところが、その“もしも玉”が割れてバラバラに砕けてしまったのです。

 

 

ここに僕はこの作品の結末たる着地点があるように思えました。
つまり、典道は海の中に取り残されたまま今もパラレルワールドの世界に存在し、
なずなは最初の時間軸に戻ったか、もしくは別の世界に飛び込んだ。

 

 

だから、祐介たちが二学期を迎える世界に二人はいなかった。
“もしも玉”がなくなったことで、二人は時空移動ができなくなった。

 

 

 

fireworks in the sea

 

 

うまく説明できないけど、失踪同然の典道はこの先彼らに忘れ去られ、
なずなは「そんな美人いたっけ?」的な記憶の彼方に消えてる気がします。

 

 

ま、あくまで個人的な解釈であり、正解なんて誰にも分かりません。
製作者以外には…

 

 

 

なずなという名前の由来は二通りあり、

 

 

撫でたいほど可愛い花
夏になると枯れてなくなる花

 

 

ということですから、
シンプルに夏が終わって転校しただけというのも可能性十分だけどね。

 

 

 

fireworks nazuna green

 

 

「打ち上げ花火」のキャラクター

 

 

及川なずな(VC:広瀬すず)
中学1年生でクラスのアイドル的存在。
思わせぶりで謎めいた言動でクラスの男子を無意識に翻弄する。
母親の再婚相手と夏休み中に引っ越すのが嫌で抵抗中。

fireworks main character

島田典道(VC:菅田将暉)
中学1年生。
なずなを好きな気持ちを隠している。

fireworks norimichi

安曇祐介(VC:宮野真守)
なずなと典道のクラスメイト。
典道とは反対でなずなに告白することを宣言。
しかし、花火大会に誘われても男友達との約束を優先する。

fireworks yusuke

 

 

「打ち上げ花火」オリジナルからの改変

 

 

最も大きくて最も残念なオリジナルからの改変ですが、
それは小学6年生から中学1年生に年齢設定を変更してしまったことです。

 

 

たった1年違いに思われるかもしれませんが、
小学生と中学生では行動も嗜好も価値観も考え方も体も大きく変わります。
放課後の過ごし方も変わるし、行動範囲だって一気に広がります。

 

 

さらには思春期に突入する時期とも重なってるので、
頭ん中で考えてることが親にも解らなくなるのは無理もありません。

 

 

ただでさえそんな厄介な難題がある年齢なのに、
オリジナルには男子が経験するような冒険的要素が少なからずありました。

 

 

隣町に行くだけでも小学生には大冒険という感覚でしたが、
中学生になったらそんな冒険はあまりやらなくなるもんですよね。

 

 

子供なりにやんちゃな面がほとんど見られなくなって、
どことなくオトナぶってクールに振る舞うようになる年頃。

 

 

「打ち上げ花火を横から見たら丸いか平べったいか?」なんて、
小学生だからこそ出てくる話題で、小学生だからこそ灯台まで見に行くわけで、
中学生であればみんなであんなに盛り上がらないし、行動もしません。

 

 

何のための改変なのか?
年齢設定だけはとくに残念でした。

 

 

次に残念なのは50メートルの競泳対決になずなが参加したこと。
あれは恋のライバルが行う男同士の“賭け”なので、
そこになずなが加わって、しかも、フライングして1着になってしまったら、
そもそもの賭けが成立しないだけでなく両者負けになるやん。

 

 

 

勝者の優越感と敗者の劣等感。
それはそのまんま祐介と典道の関係性とも言えるわけで、
ターンで怪我をしたのは負けるのを認めたくない典道の言い訳。
一本勝負で白黒つけることは望んでないと思うんです。

 

 

オリジナルでは決着を見守ってるだけなんですよね。
参加させた意味がわからない。
なずなのスクール水着姿を見せたかっただけなのか?

 

 

 

fireworks nazuna swimming

 

 

 

プールサイドで寝転ぶ顔にトンボが止まるのはさすがに追い払うと思うけど、
オリジナルではありんこが胸元にやってきます。
どちらもなずなは動じませんが…

 

 

三浦先生は巨乳じゃない。
オリジナルでは麻木久仁子が演じてるくらいなので、
むしろ貧乳。

 

 

「打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?」の予告篇

 

 

「打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?」の予告篇

 

 

「打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?」あらすじ

 

 

とある海辺の町の中学校。クラスのアイドル的存在の及川なずな(広瀬すず)に思いを寄せる島田典道(菅田将暉)と安曇祐介(宮野真守)の二人は夏休みの花火大会を前に学校のプールでなずなの前で50メートルの競泳対決をした。典道はターンに失敗して敗れるが、水中で不思議な玉を拾った。一方、先にゴールした祐介はなずなから花火大会に誘われるが、約束をすっぽかし、友達と灯台に向かっていた。典道はなずなが母親に力ずくで連れ戻される姿を見ながら何もできなかったが、水泳中に拾った玉を投げると再び祐介との水泳対決の真っ最中に時間が巻き戻った。そして、今度は勝者となった典道はなずなと駆け落ちしようとするが…。

 

 

fireworks Swimming race

 

 

「打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?」の興行収入

 

 

今は良くも悪くもSNSにおける評価が興行収入を大きく左右する時代ですが、
8月18日の金曜日公開となったこの作品は初日だけで興行収入1億7000万円を記録し、
週末2日間のオープニング興行収入で4億円を超えそうな出足でした。

 

 

同じく東宝配給で7月28日の金曜日公開だった「君の膵臓をたべたい」と比較して、
初日の興行収入は188%という大ヒットレベルの数字だったことから、
最終的に40億円の興行収入が見込める勢でした。

 

 

ところが、公開2日目にTwitterを中心に酷評があっという間に広がって、
最終的に週末2日間で2億9500万円しかならず、
3日間の累計でも4億6000万円と初日の勢いは何処へやら…
早くも15億円が目標と下方修正するレベルまで急降下してしまいました。

 

 

 

fireworks Lighthouse

 

 

「打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?」作品情報

 

 

企画プロデューサー:川村元気
原作:岩井俊二
脚本:大根仁
総監督:新房昭之
監督:武内宣之
音楽:神前暁
公開日:2017年8月18日
上映時間:90分
アニメーション制作:シャフト
配給:東宝
声の出演:
及川なずな役は広瀬すず
柴田典道役は菅田将暉
安曇祐介役は宮野真守
松たか子
花澤香菜
梶裕貴

 

 

HIRO
なずなは奥菜恵しか考えられない。それがオリジナルラブの感想で、やけに難しくて複雑なアニメにしちゃったというのが本音かな。

 

 

「打ち上げ花火」その他もろもろ

 

 

絵が幻想的で綺麗なのはいい。
でも、いかにもシャフトらしい“目”がちょっとやりすぎかな。
よく言えば花火の形状がアニメにしかできない演出なので、
オリジナルに勝るところはその点くらい。

 

 

広瀬すずが素晴らしい。
どこか幼さが残る声と大人びた声がうまく演じ分けされてますよね。

どうせなら実写のリメイクが見てみたいところですが、
さすがに広瀬すずでは実現できないわな。

 

 

もっときちんと考察するためにもあと何回か見に行きたい。
でも、どうとでも解釈できるだけに、もういいかって気もする。

 

 

 

この曲がなかったら発狂してました。
ただ、歌ってるのはREMEDIOSではなくDAOKOなんです。
このMVは岩井俊二が演出。

 

 

DAOKO『Forever Friends』MUSIC VIDEO

 

 

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